経済 ― 第7章

有効需要と乗数メカニズム

「需要が需要を呼ぶ」― ケインズ経済学の核心にあるメカニズムに迫る。

第 7 章は、ケインズ経済学の核心部分です。景気対策で公共投資を 10 兆円行ったら、実際に経済に生まれる需要はいくらでしょうか?答えは「10 兆円の何倍か」― これが乗数効果です。 本章では、限界消費性向の概念から始めて、乗数プロセス消費関数、そしてケインズ経済学のアイコンであるケインジアンクロス(45度線分析)で需要不足の均衡を描き出します。最後に投資と政府支出を加えた完全な $Y = C + I + G$ のモデルで、マクロ経済の均衡 GDP を連立方程式で求める手法を数値例で練習します。KKT 試験でも計算問題の定番ポイントです。

🎯 この章でマスターしておきたいこと

📚 本章の流れ

  1. 需要不足がもたらす不況
  2. 景気の波及と乗数プロセス
  3. 消費関数とマクロ経済の均衡(ケインジアンクロス)
  4. 投資と政府支出 ― 完全モデル
  5. 恒等式と方程式
  6. 要点まとめ
  7. 演習

1. 需要不足がもたらす不況

1.1 不況の悪循環

マクロ経済の動きを考えるとき、景気の問題では需要サイドのほうが重要です。消費や投資などの需要がどう動くかが鍵を握ります。

典型的な不況の悪循環はこうです:

不況の悪循環メカニズム

[景気が悪く商品が売れない] → [企業が生産を縮小し雇用を減らす] → [人々の所得が減少し、さらに需要が落ち込む] → [景気がさらに悪化]

消費が冷え込むと企業の売上が減り、リストラ・賃金カットで家計所得が減少し、それがさらに消費を冷やす ― まさに負のスパイラルです。逆に好景気では、所得増 → 需要増 → 生産増 → 雇用増 → さらに所得増、という正のスパイラルが働きます。

1.2 有効需要の原理 ― ケインズの核心的洞察

ケインズ以前の古典派経済学では「供給はそれ自身の需要を生み出す(セーの法則)」と考えられ、失業は一時的な現象でした。しかしケインズは、需要不足によって長期の失業が発生することを理論的に示しました。

有効需要の原理
経済の産出水準 (GDP) は、供給能力ではなく、経済全体の需要(有効需要)の大きさで決まる。需要が不足すれば、完全雇用に達する前に経済は「不完全雇用均衡」で止まってしまう。

2. 景気の波及と乗数プロセス

2.1 エアコンの例 ― 需要の波及

具体例で見てみましょう。夏が例年より暑く、120 億円余分にエアコンが売れたとします。

  1. 1 次(初期):家電メーカー・部品業者・小売店に 120 億円の売上・所得増
  2. 2 次(派生):所得が増えた人々が、その一部を衣料・レジャー・飲食などに支出 → 他業界の売上増
  3. 3 次(派生):衣料・レジャー業界の所得が増えて、またその一部が消費に
  4. ... と無限に連鎖

2.2 限界消費性向 ― 所得のどれだけを消費に回すか

限界消費性向(MPC: marginal propensity to consume) $$c = \frac{\Delta C}{\Delta Y}$$

所得が 1 単位増えたとき、消費が増える量。例えば所得が 10 万円増え、そのうち 7.5 万円を消費に回すなら $c = 0.75$。残り 2.5 万円は貯蓄。限界貯蓄性向 $s = 1 - c = 0.25$。

2.3 乗数プロセス ― 派生需要の累積

乗数プロセスの波及
図 7-1 乗数プロセス ― 初期需要 120 億円(c = 0.75)の派生需要の連鎖

限界消費性向 $c = 0.75$ のとき、各ステージの派生需要は前ステージの $c$ 倍になります:

すべての派生需要を足し合わせると:

$$\Delta Y = A + cA + c^2 A + c^3 A + \cdots = A \cdot \frac{1}{1 - c}$$

これは初項 $A$、公比 $c$ の無限等比級数で、和は $\dfrac{A}{1-c}$。

乗数(multiplier)の公式 $$\text{乗数} = \frac{1}{1 - c} = \frac{1}{s}$$

例:$c = 0.75 \Rightarrow$ 乗数 $= 4$

→ 初期需要 120 億円 × 乗数 4 = 480 億円の経済全体への需要増。

乗数値は「ある場所で生まれた需要が、経済全体で何倍に膨らむか」を教えてくれます。$c = 0.8$ なら乗数 5、$c = 0.9$ なら乗数 10 ― MPCが高いほど乗数は大きくなります。消費意欲旺盛な経済のほうが景気変動も大きい、というのがこの理論の含意です。

3. 消費関数とマクロ経済の均衡(ケインジアンクロス)

3.1 消費関数

消費を所得の関数として表したものが消費関数です。典型形:

$$C = C_0 + cY$$
消費関数 C = 40 + 0.75Y
図 7-2 消費関数 $C = 40 + 0.75Y$ ― 切片 40 が基礎消費、傾き 0.75 が限界消費性向

3.2 45 度線分析(ケインジアンクロス)

簡単化のため、ひとまず投資も政府支出もない経済を考えます。総需要は消費のみ。経済が均衡するのは 所得 = 需要 のとき:

$$Y = C(Y) = C_0 + cY$$

これをグラフ上で表すと、45 度線($Y = C$)と消費関数の交点が均衡点。これがケインジアンクロスです。

ケインジアンクロス
図 7-3 ケインジアンクロス ― 45 度線と消費関数の交点が均衡 GDP
設例 1:消費のみの経済での均衡 GDP

消費関数 $C = 40 + 0.75Y$ のとき、均衡 GDP を求める。

均衡条件 $Y = C$ より:

$$Y = 40 + 0.75Y$$ $$0.25Y = 40$$ $$Y^* = \textbf{160 兆円}$$

→ このとき消費もちょうど 160 兆円。需要と供給が一致。

3.3 均衡の安定性

もし所得が均衡 $Y^*$ から外れたら?

状況需要 vs 供給経済の動き
$Y < Y^*$(過小)需要 > 供給(消費関数が 45 度線より上)生産が拡大 → $Y$ が増加
$Y = Y^*$需要 = 供給均衡(動かない)
$Y > Y^*$(過大)需要 < 供給(売れ残り)生産が縮小 → $Y$ が減少

いずれの場合も、所得は $Y^*$ に収束します。

3.4 需要不足の均衡 ― ケインズの核心

需要不足がもたらす所得減少
図 7-4 需要不足の経済 ― 消費関数の 40 下方シフトで所得が 160 減少

消費関数が何らかの理由で下方にシフトすると(消費意欲の低下、将来不安、資産価値下落など)、均衡は $E_1$ から $E_2$ へ移動します。

消費関数のシフトと所得の連動

基礎消費の 40 の低下が、所得を 160 も押し下げる(乗数 4 倍)。

→ ここで重要なのは「低い $Y_2 = 160$ でも経済は均衡に達してしまう」こと。需要不足のまま失業・遊休設備を抱えて均衡で止まるのがケインズ経済学の洞察。

ケインズ以前の古典派:「市場は自動的に完全雇用を実現する」
ケインズ:「需要不足があれば、経済は失業を伴ったまま均衡する。政府の介入が必要」
この違いが、財政・金融政策の必要性を論じる根拠です。

4. 投資と政府支出 ― 完全モデル

4.1 総需要の拡張

より現実的なモデルでは、消費だけでなく投資 $I$ と政府支出 $G$ も需要に含めます(海外貿易は第 6 章参照、ここでは省略)。

$$Y = C + I + G$$

消費関数 $C = C_0 + cY$、投資 $I$ と政府支出 $G$ を外生的に与えて、均衡条件:

$$Y = (C_0 + cY) + I + G$$ $$(1 - c) Y = C_0 + I + G$$ $$\boxed{Y^* = \frac{C_0 + I + G}{1 - c}}$$
投資・政府支出の追加と均衡
図 7-5 投資・政府支出の追加 ― 総需要曲線のシフトと乗数効果

4.2 投資乗数と政府支出乗数

投資が $\Delta I$ だけ増えると、均衡 GDP は:

$$\Delta Y = \frac{\Delta I}{1 - c} = \text{(乗数)} \times \Delta I$$

政府支出の増加も同様。どちらも乗数は $\dfrac{1}{1-c}$ です。

設例 2:C + I + G モデルの均衡

消費関数 $C = 40 + 0.75Y$、投資 $I = 25$ 兆円、政府支出 $G = 25$ 兆円。均衡 GDP を求める。

$$Y = 40 + 0.75Y + 25 + 25$$ $$0.25Y = 90$$ $$Y^* = \textbf{360 兆円}$$

確認:そのときの消費 $C = 40 + 0.75 \times 360 = 310$、$C + I + G = 310 + 25 + 25 = 360 = Y$ ✓

設例 3:投資の増加による乗数効果

設例 2 の状態から投資が $25 \to 35$ 兆円(+10)に増えたとき、均衡 GDP はどう変化するか?

$$Y = 40 + 0.75Y + 35 + 25$$ $$0.25Y = 100$$ $$Y^{**} = \textbf{400 兆円}$$

GDP の増加:400 − 360 = 40 兆円

乗数 = ΔY / ΔI = 40 / 10 = 4(= 1/(1−0.75))✓

→ 10 兆円の投資拡大が、経済全体に 40 兆円の GDP 増加をもたらす(乗数効果)。

4.3 政府支出乗数と財政政策

景気が悪いとき、政府は公共投資を増やして需要を刺激します。乗数効果により、追加された政府支出の何倍もの GDP 増加が期待できます。

1930 年代の大恐慌。アメリカでローズベルト大統領はニューディール政策で大規模な公共事業を実施。「穴を掘って埋めるだけの仕事でもいい、雇用と所得を生み出せば、それが乗数効果で経済を回す」。極端な話に聞こえますが、経済学的には理にかなった処方箋だったのです。日本でも 1990 年代以降のバブル崩壊後、度々の景気対策で公共投資が使われました(効果については議論あり)。

4.4 貯蓄漏出と乗数の抑制要因

現実の乗数は理論値より小さくなる傾向があります。要因:

これらを「漏出」と呼びます。漏出が大きいほど乗数は小さくなります。

5. 恒等式と方程式

5.1 2 つの見方の違い

マクロ経済学には同じ形をした式でも2 通りの意味があります。

種類意味例:$Y = C + I + G$
恒等式
(identity)
どんな状況でも定義上必ず成立する式 国民経済計算で $Y$ を支出面から見たときの定義。売れ残り(在庫)も投資に算入されるので必ず成立
方程式
(equation)
「この式が成立するように $Y$ が決まる」という因果関係を表す 総需要 $= C(Y) + I + G$ が総生産 $Y$ に等しくなる均衡 $Y^*$ を求める式

5.2 重要性

同じ $Y = C + I + G$ でも、恒等式として見るか方程式として見るかで解釈が根本的に変わります。ケインズの乗数理論は、この式を「方程式」として解くアプローチ。消費関数 $C = C(Y)$ を組み込むことで、均衡 GDP $Y^*$ を内生的に決定します。

💡 第 7 章 要点まとめ

✍️ 演習(クリックで解答表示)

問 1 次の文章の空欄を埋めてください。
(1)(   )が大きな経済では、所得の増加に対する消費の伸びが大きくなるので、(   )が大きくなる。
(2) 公共投資が行われると、それは需要の増大を通じて(  )を拡大させる。そしてそれによって生み出された(  )は国民に分配され、追加的な(  )の増加を生み出す。これが(   )のメカニズムである。
(3) 消費を所得の関数として表したものを(   )と呼ぶ。これをグラフに描いたときの曲線の傾きは(   )になっている。

解答を見る

(1) 限界消費性向/乗数(値)

(2) 生産/所得/消費(需要)/乗数(プロセス)

(3) 消費関数/限界消費性向

問 2 次の単純なマクロモデルを考える。消費関数 $C = 0.8Y + 100$、投資 $I = 300$。
(1) 政府も海外部門もないこの経済で、マクロ均衡をもたらす GDP の水準を求めよ。
(2) この経済の乗数値を求めよ。
(3) 投資が 300 から 400 に 100 増加したとき、新しい均衡 GDP を求めよ。増加分を乗数の考え方で説明せよ。

解答を見る

(1) $Y = C + I = 0.8Y + 100 + 300$
$\Rightarrow 0.2Y = 400 \Rightarrow Y^* = \textbf{2{,}000}$

(2) 乗数 $= \dfrac{1}{1 - 0.8} = \dfrac{1}{0.2} = \textbf{5}$

(3) $Y = 0.8Y + 100 + 400$
$\Rightarrow 0.2Y = 500 \Rightarrow Y^{**} = \textbf{2{,}500}$

ΔY = 500 = ΔI(100)× 乗数(5)。投資 100 の増加は、所得 → 消費 → 所得 → 消費 … の連鎖を通じて、最終的に GDP を 500 だけ増加させる。

問 3 消費関数 $C = 0.9Y + 100$、投資 $I$ の経済を考える(政府・海外なし)。消費 $C$、貯蓄 $S$、投資 $I$、GDP $Y$ の記号。
(1) 貯蓄関数 $S = Y - C$ を式で表せ。
(2) 限界貯蓄性向はいくつか。
(3) マクロ均衡を貯蓄と投資で表し、均衡 GDP を $I$ の関数として表せ。
(4) このモデルの乗数はいくつか。限界貯蓄性向との関係を説明せよ。

解答を見る

(1) $S = Y - C = Y - (0.9Y + 100) = \textbf{0.1Y − 100}$

(2) 限界貯蓄性向 $s = \Delta S / \Delta Y = \textbf{0.1}$

(3) マクロ均衡は $S = I$(貯蓄 = 投資)。
$0.1Y - 100 = I \Rightarrow Y = \textbf{10I + 1{,}000}$

(4) 乗数 $= 1/s = 1/0.1 = \textbf{10}$。限界貯蓄性向の逆数が乗数。

$Y = 10I + 1{,}000$ から、$I$ が 1 増えると $Y$ が 10 増える = 乗数 10 で一致。

問 4 消費と投資のみの経済(政府・海外なし)、限界消費性向 0.8。
(1) 何らかの外生的理由で投資が 1 兆円増えた。二次的波及効果として消費はどれだけ増えるか。
(2) その消費増加が三次的に生み出す消費増加はいくらか。
(3) 当初の投資増加 + 二次、三次、…、無限に波及するすべての需要増加を足し合わせた最終的な GDP 増加額はいくらか。
(4) 限界消費性向を $c$ と置いたとき、乗数を $c$ を使って表せ。

解答を見る

(1) 投資 1 兆円の所得増 → 限界消費性向 0.8 × 1 = 0.8 兆円の消費増

(2) 0.8 兆円の所得増 → 0.8 × 0.8 = 0.64 兆円の消費増

(3) 無限等比級数:
ΔY = 1 + 0.8 + 0.64 + 0.512 + … = $\dfrac{1}{1 - 0.8}$ = 5 兆円

(4) $\text{乗数} = 1 + c + c^2 + c^3 + \cdots = \dfrac{1}{1 - c}$

問 5 次の記述は正しいか、誤りか、または判断できないか答えよ。
(1) 限界消費性向が高いほど、乗数の値は大きくなる。
(2) 限界貯蓄性向が低いほど、乗数の値は大きくなる。
(3) 限界消費性向が一定でも、平均消費性向が大きければ、乗数は大きくなる。
(4) 限界消費性向が非常に 0 に近いと、投資が 1 兆円増えても、GDP は 1 兆円以下しか増えないことがある。
(5) 実際の乗数プロセスには時間がかかるので、1 年目の GDP 増加は理論値よりもかなり小さい。

解答を見る

(1) 正しい。乗数 $= 1/(1-c)$、$c$ が大きいと分母が小さくなり乗数は大きい。

(2) 正しい。限界貯蓄性向 $s = 1 - c$、$s$ が小さいと $c$ が大きい → 乗数大((1)と同じ)。

(3) 誤り。乗数は限界消費性向で決まり、平均消費性向は関係ない。平均が大きくても、限界が小さければ乗数は小さい。

(4) 誤り。乗数 $= 1/(1-c)$、$c \to 0$ なら乗数 $\to 1$。投資 1 兆円で GDP はちょうど 1 兆円増える(それ以下にはならない)。

(5) 正しい。実際の波及には時間がかかるため、1 年目はまだ 2 次・3 次の波及効果が出きっておらず、長期の理論値(× 5)よりも小さくなる。

問 6 消費関数 $C = 50 + 0.75Y$、投資 $I = 20$、政府支出 $G = 30$ の経済を考える(海外貿易なし)。
(1) 均衡 GDP を求めよ。
(2) 不況対策として政府が公共投資を 10 増やした($G = 40$)。新しい均衡 GDP を求め、増加分を乗数効果として説明せよ。
(3) 完全雇用 GDP が 500 と想定される。(1) と比較して、いくらの GDP ギャップが存在するか。そのギャップを埋めるには、政府支出をいくら増やせばよいか。

解答を見る

(1) $Y = 50 + 0.75Y + 20 + 30 = 100 + 0.75Y$
$\Rightarrow 0.25Y = 100 \Rightarrow Y^* = \textbf{400}$

(2) $Y = 50 + 0.75Y + 20 + 40 = 110 + 0.75Y$
$\Rightarrow 0.25Y = 110 \Rightarrow Y^{**} = \textbf{440}$

ΔY = 40 = ΔG(10)× 乗数(1/(1−0.75) = 4)。政府支出 10 増加が 4 倍に波及して GDP を 40 増加させる。

(3) GDP ギャップ = 500 − 400 = 100
必要な政府支出増加 = GDP ギャップ ÷ 乗数 = 100 ÷ 4 = 25
つまり $G$ を 30 → 55 に 25 増やせば、均衡 GDP が 400 → 500 に達し、完全雇用が実現する。

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