【日本の礎①】福澤諭吉と『西洋旅案内』— 日本人が初めて知った「保険」
📅 2026年8月9日 公開
新連載「日本の保険の礎」。明治の日本に保険業を打ち立て、今日の保険業界——そしてアクチュアリーという職業の足場——を築いた人々の物語です。第1回は、すべての出発点となった一冊の旅行ガイドブックから始めます。
1867年、一冊の旅行案内が「保険」を日本に運んだ
慶応3年(1867年)、福澤諭吉は『西洋旅案内』という本を出版しました。書名のとおり、欧米へ渡航する日本人のための実用ガイドブックです。船賃や両替、ホテルの作法といった実務情報が並ぶこの本の付録で、福澤は当時の日本ではまだほとんど知られていなかった西洋の仕組みを紹介します。それが「災難請合(さいなんうけあい)」——保険でした。
福澤はこの仕組みを、おおよそ次のように説明しています。平生から仲間で少しずつお金を出し合っておき、仲間の誰かに災難が起きたときに、集めたお金から救済する——。そして具体的に3つの種類を挙げました。
| 福澤の呼び名 | 現在の名称 |
|---|---|
| 生涯請合 | 生命保険 |
| 火災請合 | 火災保険 |
| 海上請合 | 海上保険 |
驚くべきはこの分類が、150年以上たった現在の保険業の基本区分(生保・損保)とそのまま重なることです。福澤は単に珍しい商売を紹介したのではなく、「偶然に備えてリスクを分かち合う」という保険の本質を最初から正確につかんで伝えていました。
なぜ福澤は保険に注目したのか
福澤諭吉(1835-1901)は豊前中津藩の下級武士の家に生まれ、緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、幕府の遣欧使節・遣米使節に随行して3度海外を見た、当時の日本で最も西洋の実像を知る人物でした。彼が西洋で見たのは、軍艦や工場だけではありません。銀行、簿記、株式会社、そして保険——社会を動かす「仕組み」こそが西洋の力の源泉だと見抜いたのです。
保険はその典型でした。個人の力ではどうにもならない災難を、大勢で分かち合えば確実に備えられる。感情や身分ではなく、計算と契約で成り立つ相互扶助。福澤が生涯をかけて説いた「実学」の精神——数理に基づいて合理的に生きる——を、保険ほど体現する仕組みはなかったと言えるでしょう。
『帳合之法』— 簿記もまた福澤が伝えた
福澤の貢献は保険の紹介にとどまりません。明治6年(1873年)には、アメリカの簿記教科書を翻訳した『帳合之法(ちょうあいのほう)』を出版し、複式簿記を日本に本格的に紹介しました。パチョーリの回で見た「500年変わらない仕組み」が、この本によって日本語になったのです。「借方・貸方」といった簿記用語の定着にも、この時期の翻訳事業が大きく寄与しました。
保険と簿記——KKTで学ぶ「会計」と、アクチュアリーの職業基盤である「保険」の両方が、同じ人物によって日本に導入されたことになります。
思想を実業に変えた「門下生ネットワーク」
福澤自身は保険会社を作りませんでした。しかし彼が創設した慶應義塾からは、紹介された仕組みを実際の事業として立ち上げる人材が次々と巣立ちます。その筆頭が、日本初の近代的生命保険会社・明治生命を1881年に設立する阿部泰蔵です。荘田平五郎、早矢仕有的など、このシリーズで今後登場する人物の多くが福澤の門下生・関係者であることに注目してください。
一冊の旅行案内で蒔かれた種が、約15年をかけて事業として芽吹く——「日本の保険の礎」の物語は、思想の輸入から実業への転換の物語でもあります。
アクチュアリー試験とのつながり
保険会社の決算・会計制度(KKTの会計分野)も、保険数理(1次試験の生保数理・損保数理)も、業として保険が存在して初めて必要になった知識です。あなたがこれから学ぶ試験科目の体系は、福澤が『西洋旅案内』で紹介した仕組みが日本で150年かけて発展した到達点にあります。
次回の「日本の礎」は、その種を最初に事業にした男——阿部泰蔵と明治生命の誕生を描きます。「保険は人の死で儲ける不謹慎な商売」と非難された時代に、彼はどうやって信用を築いたのか。お楽しみに。
※ 厳密に言えば(補注)
- 本文の「仲間で出し合い、災難のときに救済する」は福澤の紹介文の要約です。現代の商業保険は厳密には、契約者が保険料を支払い、保険会社が保険事故に対して保険金を支払う「契約」であり、相互扶助はその社会的機能を指す表現です。
- 大数の法則は、個々の事故を予測するものではなく、多数の契約を集めると損害率・死亡率などの経験値が安定するという考え方です。また『西洋旅案内』の記述から福澤自身が保険数理を認識していたとまでは言えず、「萌芽」はあくまで現代からの読み込みです。
- 「最初に事業にした男」は生命保険についての表現です。保険事業全体では、東京海上保険会社(1879年創業)による海上保険が先行しています。
- 『西洋旅案内』(1867年)から明治生命設立(1881年)までは、暦年差では14年です。
- KKTの会計分野は保険会社の会計に限らず、一般的な財務会計を広く扱います。会計・経済・投資理論そのものは保険業以前から存在する学問であり、「保険業があって初めて必要になった」のは保険数理や保険会社の決算制度についての表現です。
- 「保険は人の死で儲ける不謹慎な商売」は当時の特定の史料からの直接引用ではなく、明治期の生命保険が死を金銭で扱う制度として抵抗感・不信感を持たれることがあった、という保険史の指摘を現代語で要約した表現です。
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